どうもこんにちは!ツリーバ編集長のヒビヤです。

リオオリンピックが世界中で注目される中、日本では間も無く終戦記念日を迎えようとしている。

当時の事を知る人は超高齢者となり、もはや実体験を伝えることが難しくなりつつある。

忘れたい記憶ではあるが、忘れてはいけない記憶でもある。

もちろんワタシは戦後生まれどころか、両親も戦後生まれだ。戦争の話は祖父や祖母からの伝聞が全てである。

どれだけ辛く、暗い時代と体験であったかは子どもながらになんとなく感じていた。

終戦より少し前、1945年の3月から5月にかけ現在の墨田区や台東区、江東区や中央区を中心に大規模な空襲があった。それが東京大空襲だ。実は足立区にも焼夷弾が落とされたのはあまり知られていないのではないだろうか。

人もろとも家屋を延焼させ主要な施設を破壊、東京を壊滅へと追い込むための空襲であり、当時田園地帯であった荒川より北の足立区周辺は空襲の対象外であったが、こちら側にも爆撃はあったらしい。

しかし商業地域であり役所や学校などがあった千住側は攻撃の対象となり、熱と炎から逃げるために多くの人が荒川へと飛び込んだのだ。

翌日は溺死や焼死した死体が川面一体に浮かんだと言われている。

こう言った話は隅田川の言問橋周辺が有名で今でも親柱には黒く煤けた痕跡が残っているのだが、実は足立区でも同じような事態が起きており足立区のwebサイトにも書かれている。

ワタシが日頃釣りをしている場所で70年以上前にそう言った悲しい出来事があったのだという事をこの時期になると聞いた話ではあるが、ビジュアル化されて思い起こされる。

これらとは無関係かとは思うが、何年も前から通っているストラクチャーポイントには毎年お盆になると花が供えられる。おそらく水難事故ではないかと思うのだが、原因は何にせよお盆と言うのはご先祖様が少しの間我が家へと帰ってくるとされる日なのだ。

それが故なのかはわからないが、最近猫ポイント周辺で犬でもない、猫でもない、なんとも悲しげな何かの声が聞こえる事がある。

時にはモゴモゴモゴモゴと稲川淳二さんが言うような何を言っているのか判然としない成人男性の声も聞こえる。

もちろん生きたものの可能性はあるのだが、その姿がどこにも見えない。だから不気味なのだ。

ワタシは全く霊感などはもっていないつもりなのだが、聞こえてしまうのだがらなんとも言えぬ恐怖感に襲われる。

また、近くでは下山事件と言われた戦後最大の未解決事件も起きており、何か関係があるのかもしれないと、ワタシのような素人は思ってしまう。

空襲で亡くなった方は10万人と言われており、錦糸公園や隅田公園を始め広い場所に分散して仮埋葬されたのだが、行方不明者も多く、見つかっていない犠牲者は隅田川や荒川の底に人知れず今も眠っているのかもしれない。

子どもがサッカーボールだと思って近づいたら頭蓋骨だった、と言う事件が上流であったのだが、もしかしたらそれは空襲の犠牲者だったのではないだろうか。そのニュース以降情報が無いので実際の事はわからないが。

何かといわく付きの荒川であるが、祖母からからはこんな話を聞いた事がある。

戦地へ向かったワタシの祖父は終戦の少し前から行方が分からなくなっており、祖母の兄や弟が戦死したこともあり、どこかで死んだものと祖母が諦めた頃、ヒョッコリと帰ってきたのだ。

実に出兵から6年後の事である。

戦地で拘留され終戦で解放されたはいいが、自国の船などなく連絡手段もない当時、貨物船に20日間揺られ広島にたどり着き、そこから汽車で帰ってきたそうだ。

そんな強運と強靭な体を持った祖父であるが、荒川で投網をしているときに水死体が網にかかる事があったそう。

今であれば大変だが、当時のこと、棒で突いて網からそっと流したそうだが、恐怖のあまり片付けもそこそこに逃げるように帰ってきた。

後日、懲りずに投網をやっていると天気が急変し激しい雷雨になった。と、その途端トリハダがザーッザザーバーザザーッ!例の水死体を思い出し網を丸めるよりも早く担ぎ、ずぶ濡れになりながら再び逃げるように帰ってきたそうだ。

荒川って、そう言う場所なのかもしれませんねぇ。

興味深い話をもう一つ。

荒川の変貌を50年見てきたと言う方と話す機会があったのだが、水位が下がると石垣が出てくるとのこと。

なにそれこわい!

なにをいい加減な事を言っているのだと思っていたのだが、実際ににそれはあった。

石垣と言うよりは旧護岸ではないだろうか。

現在の護岸のはるか先にその構造物はあるのだ。

通水当時のものか、少し後になって作られたものではないだろうか。

いずれにせよ謎の構造物があるのは事実である。それが何であるのかは河川事務所などに聞いて確かめてみようと思う。

ほら、今夜も悲しげな声があなたの後ろから聞こえるよ。

それでは今日もNo Tsuri-ba! No Life!

https://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2016/08/image.jpeghttps://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2016/08/image-150x150.jpegtsuri-ba釣りTALK恐怖体験,荒川,釣りどうもこんにちは!ツリーバ編集長のヒビヤです。 リオオリンピックが世界中で注目される中、日本では間も無く終戦記念日を迎えようとしている。 当時の事を知る人は超高齢者となり、もはや実体験を伝えることが難しくなりつつある。 忘れたい記憶ではあるが、忘れてはいけない記憶でもある。 もちろんワタシは戦後生まれどころか、両親も戦後生まれだ。戦争の話は祖父や祖母からの伝聞が全てである。 どれだけ辛く、暗い時代と体験であったかは子どもながらになんとなく感じていた。 終戦より少し前、1945年の3月から5月にかけ現在の墨田区や台東区、江東区や中央区を中心に大規模な空襲があった。それが東京大空襲だ。実は足立区にも焼夷弾が落とされたのはあまり知られていないのではないだろうか。 人もろとも家屋を延焼させ主要な施設を破壊、東京を壊滅へと追い込むための空襲であり、当時田園地帯であった荒川より北の足立区周辺は空襲の対象外であったが、こちら側にも爆撃はあったらしい。 しかし商業地域であり役所や学校などがあった千住側は攻撃の対象となり、熱と炎から逃げるために多くの人が荒川へと飛び込んだのだ。 翌日は溺死や焼死した死体が川面一体に浮かんだと言われている。 こう言った話は隅田川の言問橋周辺が有名で今でも親柱には黒く煤けた痕跡が残っているのだが、実は足立区でも同じような事態が起きており足立区のwebサイトにも書かれている。 ワタシが日頃釣りをしている場所で70年以上前にそう言った悲しい出来事があったのだという事をこの時期になると聞いた話ではあるが、ビジュアル化されて思い起こされる。 これらとは無関係かとは思うが、何年も前から通っているストラクチャーポイントには毎年お盆になると花が供えられる。おそらく水難事故ではないかと思うのだが、原因は何にせよお盆と言うのはご先祖様が少しの間我が家へと帰ってくるとされる日なのだ。 それが故なのかはわからないが、最近猫ポイント周辺で犬でもない、猫でもない、なんとも悲しげな何かの声が聞こえる事がある。 時にはモゴモゴモゴモゴと稲川淳二さんが言うような何を言っているのか判然としない成人男性の声も聞こえる。 もちろん生きたものの可能性はあるのだが、その姿がどこにも見えない。だから不気味なのだ。 ワタシは全く霊感などはもっていないつもりなのだが、聞こえてしまうのだがらなんとも言えぬ恐怖感に襲われる。 また、近くでは下山事件と言われた戦後最大の未解決事件も起きており、何か関係があるのかもしれないと、ワタシのような素人は思ってしまう。 空襲で亡くなった方は10万人と言われており、錦糸公園や隅田公園を始め広い場所に分散して仮埋葬されたのだが、行方不明者も多く、見つかっていない犠牲者は隅田川や荒川の底に人知れず今も眠っているのかもしれない。 子どもがサッカーボールだと思って近づいたら頭蓋骨だった、と言う事件が上流であったのだが、もしかしたらそれは空襲の犠牲者だったのではないだろうか。そのニュース以降情報が無いので実際の事はわからないが。 何かといわく付きの荒川であるが、祖母からからはこんな話を聞いた事がある。 戦地へ向かったワタシの祖父は終戦の少し前から行方が分からなくなっており、祖母の兄や弟が戦死したこともあり、どこかで死んだものと祖母が諦めた頃、ヒョッコリと帰ってきたのだ。 実に出兵から6年後の事である。 戦地で拘留され終戦で解放されたはいいが、自国の船などなく連絡手段もない当時、貨物船に20日間揺られ広島にたどり着き、そこから汽車で帰ってきたそうだ。 そんな強運と強靭な体を持った祖父であるが、荒川で投網をしているときに水死体が網にかかる事があったそう。 今であれば大変だが、当時のこと、棒で突いて網からそっと流したそうだが、恐怖のあまり片付けもそこそこに逃げるように帰ってきた。 後日、懲りずに投網をやっていると天気が急変し激しい雷雨になった。と、その途端トリハダがザーッザザーバーザザーッ!例の水死体を思い出し網を丸めるよりも早く担ぎ、ずぶ濡れになりながら再び逃げるように帰ってきたそうだ。 荒川って、そう言う場所なのかもしれませんねぇ。 興味深い話をもう一つ。 荒川の変貌を50年見てきたと言う方と話す機会があったのだが、水位が下がると石垣が出てくるとのこと。 なにそれこわい! なにをいい加減な事を言っているのだと思っていたのだが、実際ににそれはあった。 石垣と言うよりは旧護岸ではないだろうか。 現在の護岸のはるか先にその構造物はあるのだ。 通水当時のものか、少し後になって作られたものではないだろうか。 いずれにせよ謎の構造物があるのは事実である。それが何であるのかは河川事務所などに聞いて確かめてみようと思う。 ほら、今夜も悲しげな声があなたの後ろから聞こえるよ。 それでは今日もNo Tsuri-ba! No Life!手は震え、動悸も止まらない釣りWebフリーマガジン