出典:東京新聞

 東日本大震災から四年三カ月。川や湖に恵まれ、淡水魚の宝庫でもある県内では、多くの関係者が東京電力福島第一原発事故による被害に苦しんできた。釣り人、漁協、釣具店、商店。それぞれもがきながら一歩ずつ苦境を乗り越えてきたが、原発のニュースを目にする度、収まりかけた風評被害に再び苦しめられる。さまざまな現場を歩き、今なお残る影響を考えた。 (後藤慎一)

 今月初め、奥日光の中禅寺湖を訪ねた。この時季は平日で約六十人、休日には約二百人の釣り客でにぎわう湖畔。埼玉県行田市から来た会社員山崎敏博さん(26)は、膝まで湖水につかり、疑似餌を使って魚を釣る「フライフィッシング」を楽しんでいた。

 「今日は全然。当たりすらない。釣れなくても、こういう自然の中でさおを投げるのはいい」

 中禅寺湖には、体長五〇センチを超えるレイクトラウトなどの淡水魚が生息し、上級者にとっても人気の釣り場だ。食用のヒメマスも釣れるため、船に乗って行う餌釣りも盛んだった。しかし、原発事故後、湖の魚から一キログラム当たり一〇〇ベクレルを超える放射性セシウムが相次いで検出。県は二〇一二年三月、漁や釣りを制限する「解禁延期要請」を出した。

 「最盛期、バブルの前の一九八五年ごろに(年間)五万人も来ていたお客さんは、震災翌年には二万人に減ってしまった。一四年は一万五千人弱。でも、徐々に『キャッチ・アンド・リリース』に理解を示す人に来てもらえるようになった」。中禅寺湖漁業協同組合専務理事の鹿間(しかま)久雄さん(64)は言う。

 中禅寺湖では、釣った魚を持ち帰らず、湖に戻すキャッチ・アンド・リリースを条件に、県と国が話し合い一二年五月から「試行期間」として釣りができるようになった。以後、この条件が現在まで続いている。

 県内でも、川魚から検出された放射性セシウムの濃度は徐々に減少したが、ほとんど水の入れ替えがない湖沼は事情が異なる。県水産試験場の沢田守伸場長は「研究者によると、中禅寺湖は水が入れ替わるのに七年かかるという計算もある。研究を続けていく」と今後も注視する。

 震災前の状態まで戻そうと苦労を重ねる現場は、ほかにもある。

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関東有数の清流として知られる那珂川の近くで、アユの塩焼きや甘露煮などを加工する「林屋川魚店」(那珂川町小川)の社長、小林博さん(50)も「原発から海に汚染水が排出されたなどというニュースが出ると、忘れたころに(消費者に)思い出させてしまう」と嘆く。 鬼怒川沿いにある釣具店「かとう釣具店」(宇都宮市石井町)では震災後、売り上げが二割減った。店主の加藤道久さん(53)は、国や県に釣りの解禁を求める署名集めに奔走した。「原発の一番の罪は、子どもたちが魚に接する機会を奪ったこと」と語る。

 アユのオリーブオイル煮など、全国から引き合いがある贈答用の商品が多い同店でも、震災直後は買い控えが響いた。しかし、季節に合わせたアユの限定販売や、デパートでの催事に参加するなど積極的な経営で安全性をアピールし、持ち直してきた。那珂川の二〇一四年のアユの漁獲量は、農林水産省の速報値で全国一位に返り咲いた。

 県内の魚は現在、日光市足尾地区の渡良瀬川上流のイワナと、中禅寺湖のワカサギを除く魚が出荷制限を受けている。中禅寺湖では、観光客に養殖のヒメマスを提供する飲食店を案内するなど、地元の食文化を残そうと努力が続く。

 風評被害が完全になくなったと言える日はいつ来るのか。消費者の不安は消えず、原発事故がもたらした影響の大きさをあらためて実感した。

https://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2015/06/PK2015061102100053_size0.jpghttps://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2015/06/PK2015061102100053_size0-150x150.jpgtsuri-ba釣りTALKトラウト,中禅寺湖,風評被害出典:東京新聞  東日本大震災から四年三カ月。川や湖に恵まれ、淡水魚の宝庫でもある県内では、多くの関係者が東京電力福島第一原発事故による被害に苦しんできた。釣り人、漁協、釣具店、商店。それぞれもがきながら一歩ずつ苦境を乗り越えてきたが、原発のニュースを目にする度、収まりかけた風評被害に再び苦しめられる。さまざまな現場を歩き、今なお残る影響を考えた。 (後藤慎一)  今月初め、奥日光の中禅寺湖を訪ねた。この時季は平日で約六十人、休日には約二百人の釣り客でにぎわう湖畔。埼玉県行田市から来た会社員山崎敏博さん(26)は、膝まで湖水につかり、疑似餌を使って魚を釣る「フライフィッシング」を楽しんでいた。  「今日は全然。当たりすらない。釣れなくても、こういう自然の中でさおを投げるのはいい」  中禅寺湖には、体長五〇センチを超えるレイクトラウトなどの淡水魚が生息し、上級者にとっても人気の釣り場だ。食用のヒメマスも釣れるため、船に乗って行う餌釣りも盛んだった。しかし、原発事故後、湖の魚から一キログラム当たり一〇〇ベクレルを超える放射性セシウムが相次いで検出。県は二〇一二年三月、漁や釣りを制限する「解禁延期要請」を出した。  「最盛期、バブルの前の一九八五年ごろに(年間)五万人も来ていたお客さんは、震災翌年には二万人に減ってしまった。一四年は一万五千人弱。でも、徐々に『キャッチ・アンド・リリース』に理解を示す人に来てもらえるようになった」。中禅寺湖漁業協同組合専務理事の鹿間(しかま)久雄さん(64)は言う。  中禅寺湖では、釣った魚を持ち帰らず、湖に戻すキャッチ・アンド・リリースを条件に、県と国が話し合い一二年五月から「試行期間」として釣りができるようになった。以後、この条件が現在まで続いている。  県内でも、川魚から検出された放射性セシウムの濃度は徐々に減少したが、ほとんど水の入れ替えがない湖沼は事情が異なる。県水産試験場の沢田守伸場長は「研究者によると、中禅寺湖は水が入れ替わるのに七年かかるという計算もある。研究を続けていく」と今後も注視する。  震災前の状態まで戻そうと苦労を重ねる現場は、ほかにもある。 関東有数の清流として知られる那珂川の近くで、アユの塩焼きや甘露煮などを加工する「林屋川魚店」(那珂川町小川)の社長、小林博さん(50)も「原発から海に汚染水が排出されたなどというニュースが出ると、忘れたころに(消費者に)思い出させてしまう」と嘆く。 鬼怒川沿いにある釣具店「かとう釣具店」(宇都宮市石井町)では震災後、売り上げが二割減った。店主の加藤道久さん(53)は、国や県に釣りの解禁を求める署名集めに奔走した。「原発の一番の罪は、子どもたちが魚に接する機会を奪ったこと」と語る。  アユのオリーブオイル煮など、全国から引き合いがある贈答用の商品が多い同店でも、震災直後は買い控えが響いた。しかし、季節に合わせたアユの限定販売や、デパートでの催事に参加するなど積極的な経営で安全性をアピールし、持ち直してきた。那珂川の二〇一四年のアユの漁獲量は、農林水産省の速報値で全国一位に返り咲いた。  県内の魚は現在、日光市足尾地区の渡良瀬川上流のイワナと、中禅寺湖のワカサギを除く魚が出荷制限を受けている。中禅寺湖では、観光客に養殖のヒメマスを提供する飲食店を案内するなど、地元の食文化を残そうと努力が続く。  風評被害が完全になくなったと言える日はいつ来るのか。消費者の不安は消えず、原発事故がもたらした影響の大きさをあらためて実感した。手は震え、動悸も止まらない釣りWebフリーマガジン