どうもこんにちは!ツリーバ編集長のシモデーンでーっすぅ。
このご時世、経済はどうなるのか、勤め先はどうなるのか、学校は、保育園は、と不安な日々を過ごしていらっしゃる方も多いだろう。
我々ツリーバもどうこの局面を乗り越えていくのか。
ライター陣一同が日々の不安の中で考え抜き、自身も生き抜く術を磨き上げている。もちろん、やりたいことを自粛、我慢しながらである。
今、編集長であるワタシに何ができるのか。
全く思いつかない。
何も思いつかない。
何も足さない、何も引かない。
シングルモルトウィスキー山崎の心境である。
何は無くとも金色に輝く二つの○ンタマがあるではないか。
ナニに使うかは人それぞれ。ナニかを無くす覚悟で鶯谷探訪をするのもまた良いだろう。
輝きを増すか、失うかはアナタ次第!
そんな事はどうでも良いのだが、せっかくのこの機会。今一度過去の釣りを振り返ってみようではないか。と言うことで、
コロナのせいでネタ切れだよ!第一回!思い出のあんな釣り!こんな釣り!
をご紹介しようと思う。
今回は何もかもが緩かった時代に釣ったフッコの話。
時はまだバブル時代の残り香がうっすらと風に乗る1992年。今から28年前の事である。
ワタシが弱冠16歳の頃だ。
お台場周辺は現在の開発されきった状態とは違い、まるでAKIRAのオリンピック会場建設現場のような様相であった。
ある意味、東京オリンピック2020の姿が、そこにすでにあったのかもしれない。
周囲一帯は何かを作っているのか、壊しているのか、一見しては判断ができないような工事現場ばかりであちらこちらで長い首を伸ばしたキリンのような重機が大きな唸りと埃を上げていた。
工事車両と輸送コンテナを積んだトレーラーが入り交じり、殺伐とし、無機質で埃っぽい空間がただただ広がっているばかりだった。
空は暗く、どこか薄茶色く見えたような気がした。
そんな場所も我々釣り人にとっては格好のポイントとなっており、今では考えられない事であるが周辺のふ頭で黙認ながら釣りができた時代である。
当時のポイントはここ。東京港フェリーターミナルへと続く有明埠頭橋の下だ。
ここへ下りるためには何かの敷地の外側、柵の外を歩く必要があるのだが、今であれば恐らく警備員、あるいは警察が来てしまうかもしれない。いや、間違いなく来るであろう。
そんな場所である。
この時の道具立ては万能リール竿に3号の黄色いナイロンラインが巻かれたワゴンセールの安物リール。電気ウキ小に3Bのガン玉ひとつ。その先には丸セイゴ鉤と言ういたってシンプルな浮き釣り仕掛けだ。
雨の降る秋の夕暮れ時。鉤にアオイソメを房がけにし、所謂明暗を流す。
光のある水面から橋の下の薄暗い水面へとウキが入り込んだ瞬間にスっとウキの赤くぼんやりとした光が消し込む。
小手先でグっと竿を立てれば最大で50センチほどのフッコが入れ食いだ。
すっかりこの釣りにハマってしまい、びしょ濡れになりながら夢中になった。
今も変わらぬがもちろん食う釣りが好きだったので、釣ったフッコは持ち帰り祖父に教わりながら捌いて食した。
マズい!
猛烈にマズい!
大悶絶である。
これがその後のうまいシーバスを探す釣りへと転化していくのであった。
それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!
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