どうもこんにちは!ツリーバ編集長のヒビヤです。

皆さんが釣りをするようになったキッカケは何だろうか。

父親が釣り好きだった、友達となんとなくやってみたら面白かった、女性であれば彼氏、旦那さんが釣り好きだったなど10人いれば10人のきっかけがあるのではないかと思う。

ワタシの話をすると、祖父が相当に釣りキ○で毎週のように渓流へと出かけていく釣り師だった。

ただ、自動車の運転免許は持っておらず、近所の釣り仲間=軍人時代の仲間の車に同乗してでかけていたようだ。

その頃に祖父が使っていた当時の高級渓流竿はワタシが受け継ぎ今もたまに使っている。

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とても大切にしていた和竿もあったようだが、釣り好きだった祖父と一緒に火葬され、三途の川で釣りを楽しんだのではないかと思う。

ワタシの記憶では毛バリも持っていたのでその和竿はテンカラ竿だったのではないかと思うのだが、その辺は今となってはよくわからない。

その祖父の影響がワタシの釣り人生に与えた影響は非常に強く、3歳ぐらいから御多分に漏れずハゼ釣りに始まり、小学生になる頃には一人で毎日近所の池に釣りに行く事が日課となっていた。

友達とも行ったと思うのだが、当時から釣りは一人でやるのが好きだったようである。

まぁ、性格も日課も今とあまり変わっていないと言う事だ。

そんな釣りに没頭する幼少だった30年以上前の記憶の中でもいくつか印象に残っている出来事があり、一つは池で釣りを教えてくれたオジサンの記憶だ。

6歳ぐらいの頃だろうか、いつものように池で誰かが放流したフナやタモロコ、クチボソを狙ってヘラブナスタイルで釣りをしていると、一人のオジサンが声をかけてきた。

大きな岩のキワに仕掛けを入れろと言うので、そこに投げ込むと面白いように良型の小魚たちがヒットする。浮きが沈むたびに祖父仕込みの合わせを叩き込んだ。

それを見たオジサンも面白くなってきたようで、餌付けまでしてくれてそこへ投げろ、こちらへ投げろ、次はあっちだと二人で夢中になって釣りをしていると、気が付けば夕闇に包まれ辺りは薄暗くなっていた。

暗くなっても帰ってこないワタシを心配した祖母が「どうせまた池で釣りをしているのだろう」とオニギリを持って迎えに来てくれた。迎えにでも行かないと帰ってこないからだ。そのあたりも今とそう変わってはいない。

するとそこで大名釣りをしているワタシを見て驚いたようだが、釣りを教えてくれたオジサンと和気藹々と話をしながら夕闇で食べたオニギリは最高にうまかった。

あのオジサンは一体、何者だったのだろうか。

もう一つは自然渓流利用の管釣りで38センチのニジマスを釣った時だ。

当時は近所で取引のある銀行の企画で夏休みになると子どもたちを観光バスに乗せ、何かしらのイベントへ連れて行く地域の子ども会的な催しがあり、その時に行ったのがどこかの渓流管釣りだった。

祖父はいつもの脈釣り、ワタシは玉ウキを付けて自分の渓流竿でニジマスを狙っていると、潜水艦のような魚影が見えたのでなんとかあいつを釣ってやろうと釣り場で用意されたイクラ餌ではなく祖父が持ってきたブドウ虫に切り替え、白く泡立つ流れのキワを流すとウキがスっと潜った。

ここぞとばかりに合わせを叩き込むと強烈な引きでニジマスが走りだした。

そんな大物を想定していない自分で作った仕掛け。やもすれば切れてしまいそうなほどに糸は張り、切らんばかりの勢いで右へ左へと強烈な引きをする。

竿を持っているのもままならない。これはさすがに自分では無理だと判断し、祖父に代わってもらうとまさかの大物との慎重なやりとりが始まる。木々の葉の隙間から差し込む夏の日差しは強く、祖父の禿げた頭は汗でびっしょりになっていた。

時間をかけ取り込まれた大物の姿にそれを狙っていた周りの大人たちも驚き、君は釣りが上手だと言われいい気になって胸を張っていたのを覚えている。取り込んだのは祖父なのだが。

これが小学生中学年ぐらいだろうか。それまでも釣りは日課にするほど好きであったが、この出来事が祖父に負けず劣らずの釣り○チとなる決定的な原因となった。

今も探せばあると思うのだが、このニジマスは持ち帰って魚拓を取り、夏休みの衝撃的な思い出となったのである。

皆さんにも二度と体験のできない、そんな大切な釣りの思い出が沢山あるのではないだろうか。

次回はルアーシーバスにはまったきかっけをお届けしよう。

それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!

https://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2016/12/d928ce51e662e53abaca3fc378154688_s.jpghttps://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2016/12/d928ce51e662e53abaca3fc378154688_s-150x150.jpgtsuri-ba釣りTALK幼少,釣りのきっかけどうもこんにちは!ツリーバ編集長のヒビヤです。 皆さんが釣りをするようになったキッカケは何だろうか。 父親が釣り好きだった、友達となんとなくやってみたら面白かった、女性であれば彼氏、旦那さんが釣り好きだったなど10人いれば10人のきっかけがあるのではないかと思う。 ワタシの話をすると、祖父が相当に釣りキ○で毎週のように渓流へと出かけていく釣り師だった。 ただ、自動車の運転免許は持っておらず、近所の釣り仲間=軍人時代の仲間の車に同乗してでかけていたようだ。 その頃に祖父が使っていた当時の高級渓流竿はワタシが受け継ぎ今もたまに使っている。 とても大切にしていた和竿もあったようだが、釣り好きだった祖父と一緒に火葬され、三途の川で釣りを楽しんだのではないかと思う。 ワタシの記憶では毛バリも持っていたのでその和竿はテンカラ竿だったのではないかと思うのだが、その辺は今となってはよくわからない。 その祖父の影響がワタシの釣り人生に与えた影響は非常に強く、3歳ぐらいから御多分に漏れずハゼ釣りに始まり、小学生になる頃には一人で毎日近所の池に釣りに行く事が日課となっていた。 友達とも行ったと思うのだが、当時から釣りは一人でやるのが好きだったようである。 まぁ、性格も日課も今とあまり変わっていないと言う事だ。 そんな釣りに没頭する幼少だった30年以上前の記憶の中でもいくつか印象に残っている出来事があり、一つは池で釣りを教えてくれたオジサンの記憶だ。 6歳ぐらいの頃だろうか、いつものように池で誰かが放流したフナやタモロコ、クチボソを狙ってヘラブナスタイルで釣りをしていると、一人のオジサンが声をかけてきた。 大きな岩のキワに仕掛けを入れろと言うので、そこに投げ込むと面白いように良型の小魚たちがヒットする。浮きが沈むたびに祖父仕込みの合わせを叩き込んだ。 それを見たオジサンも面白くなってきたようで、餌付けまでしてくれてそこへ投げろ、こちらへ投げろ、次はあっちだと二人で夢中になって釣りをしていると、気が付けば夕闇に包まれ辺りは薄暗くなっていた。 暗くなっても帰ってこないワタシを心配した祖母が「どうせまた池で釣りをしているのだろう」とオニギリを持って迎えに来てくれた。迎えにでも行かないと帰ってこないからだ。そのあたりも今とそう変わってはいない。 するとそこで大名釣りをしているワタシを見て驚いたようだが、釣りを教えてくれたオジサンと和気藹々と話をしながら夕闇で食べたオニギリは最高にうまかった。 あのオジサンは一体、何者だったのだろうか。 もう一つは自然渓流利用の管釣りで38センチのニジマスを釣った時だ。 当時は近所で取引のある銀行の企画で夏休みになると子どもたちを観光バスに乗せ、何かしらのイベントへ連れて行く地域の子ども会的な催しがあり、その時に行ったのがどこかの渓流管釣りだった。 祖父はいつもの脈釣り、ワタシは玉ウキを付けて自分の渓流竿でニジマスを狙っていると、潜水艦のような魚影が見えたのでなんとかあいつを釣ってやろうと釣り場で用意されたイクラ餌ではなく祖父が持ってきたブドウ虫に切り替え、白く泡立つ流れのキワを流すとウキがスっと潜った。 ここぞとばかりに合わせを叩き込むと強烈な引きでニジマスが走りだした。 そんな大物を想定していない自分で作った仕掛け。やもすれば切れてしまいそうなほどに糸は張り、切らんばかりの勢いで右へ左へと強烈な引きをする。 竿を持っているのもままならない。これはさすがに自分では無理だと判断し、祖父に代わってもらうとまさかの大物との慎重なやりとりが始まる。木々の葉の隙間から差し込む夏の日差しは強く、祖父の禿げた頭は汗でびっしょりになっていた。 時間をかけ取り込まれた大物の姿にそれを狙っていた周りの大人たちも驚き、君は釣りが上手だと言われいい気になって胸を張っていたのを覚えている。取り込んだのは祖父なのだが。 これが小学生中学年ぐらいだろうか。それまでも釣りは日課にするほど好きであったが、この出来事が祖父に負けず劣らずの釣り○チとなる決定的な原因となった。 今も探せばあると思うのだが、このニジマスは持ち帰って魚拓を取り、夏休みの衝撃的な思い出となったのである。 皆さんにも二度と体験のできない、そんな大切な釣りの思い出が沢山あるのではないだろうか。 次回はルアーシーバスにはまったきかっけをお届けしよう。 それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!手は震え、動悸も止まらない釣りWebフリーマガジン