こんにちわ!ツリーバライターのイシザキです!

今回の荒川事件簿では少し昔の事件を取り上げます。

荒川放水路バラバラ殺人事件。

ネーミングだけ聞くと、どんだけのサイコパスの話なんだよって感じですが、事件の経緯をみるとちょっと悲しい事件なんです。

早速事件内容を見ていきたいのですが・・・・調べる中でとにかく気になるワードがあったので思い切って別立てで記事にしてみました(【荒川事件簿】少女が発見したのはバラバラの「オバケ」。悲しい夫婦の事件簿。

そのワードとは・・・

「日の丸プール」。

荒川放水路バラバラ殺人事件発覚の発端となった場所です。当時は新聞のトップになったほどの事件。当時はこの日の丸プールが日本の注目の的になっていたことでしょう。

ですが・・・・

情報がない!

ネットで調べて見ても写真は愚か、日の丸プールをまとめた記事すらない。事件のまとめ記事とか見てると、どこのページも「通称日の丸プール」。釣りする際に一番気になるのは、

で、日の丸プールってどこですか?

ということなんですが、今はあるのか、ないなら元々どこにあったのか・・・肝心なことが書いてないじゃねぇか。

仕方ないので自分で調べてまとめて見ました。唯一参考になりそうな資料(荒川の昔ー遊びPDFファイル)を参考に。

通称日の丸プールの正体。本当の名前は太田溜(おおだだまり)と言います。事件発覚地の字名である「太田」の溜ということですね。つまり、太田地域にあった水溜のことなんです。なぜ「日の丸」なのかは結局わかりませんでした。

それでは、事件の発覚の場となった日の丸プールがどこなのか?それはズバリ・・・・現扇大橋のすぐ下流にある扇ゴルフ練習場の位置です。ここまでくるだけでも結構苦労したのですが・・・多分この結論であっていると思います。ちなみに、事件当時の1952年には扇大橋はなく、西新井橋は現在より80m上流にありました。


荒川の昔ー遊びPDFファイル

日の丸プールが、いつ、どういう経緯で作られたかはよくわかりません。ただ、このあたりは「荒木田」というレンガ造りに適した粘土がよくとれた。荒川放水路が作られる以前に、粘土を掘った跡が「日の丸プール」として活用されるようになったそうです。

では、日の丸プールとはなんに使われていたのか・・・・それは、

水練場(すいれんば)。



荒川の昔ー遊びPDFファイル

水練場とはあまり聞きなれないですが、今でいうプールです。戦前における日の丸プールは子供達が泳ぎを覚えるために利用され、「向井流」という日本の古式泳法のぬき手、立ち泳ぎ、遠泳などが教えられ、相当な賑わいだったようです。
今でこそ多くの学校にプールが設けられていますが、昔はその辺の川や池で泳ぎの練習をしたんですね。

ちょっと想像し辛くないですか?でも、戦前くらいの荒川はとても澄んでいて、多くの人が荒川で遊泳して楽しんでいたようです。ちなみに、現在の荒川って泳げるんですかね?僕は何回かこの夏に荒川に釣りに出かけたのですが、泳いでいる人を一回も見たことがありません。遊泳禁止なんですか?それともやはりアソコで泳ぐ勇者はいないってことなんですかね・・・

日の丸プールの写真が全く出てこなかったのですが、資料から情景を想像してみます。自分のイメージがズレている可能性もありますが。資料によると、干潮時には泳げない程度にまで水が引く「天然プール」というエリアが現在のゴルフ練習場付近に広がっていた。満潮時は泳ぐことも可能だったが、ある老人によれば深い所でも子供の胸程度の浅い「大きな水溜まり」だったらしい。しかし、干潮時でも泳げるエリアが「天然プール」エリアの中にあった。それが「日の丸プール」。ひょうたん型をした日の丸プールで子供たちはワーワーいいながら遊んだのでしょう。
日の丸プールの近くには寺地小学校があり、そこの生徒が日の丸プールで泳ぎを磨き、水泳大会で大活躍したそうです。

戦後の昭和20年代前半、日の丸プールは向井流の水練場としての役割を終えましたが、子供達の夏の遊び場として賑わっていたそうです。ヨシヅ張りの小屋には監視員がおり、彼に10円を払って入場。赤ふん姿の少年達は水の中で鬼ごっこをしたり、飛込み台から日の丸プールに飛び込んだりして遊んでいたそうです。


太陽の破片を求めて

泳ぎながらシジミをとったり、ウナギをとったり、近くの畑からキュウリやトマトをパクったり・・・といった思い出を記されている老人もいらっしゃいました。まさに昭和の遊びですね。

ですが、昭和20年代半ばをすぎると、水質の悪化が問題視されるようになり、終には水泳禁止になってしまったそうです。ですが、その後も堅苦しいルールのない日の丸プールで泳ぐ子供が後をたたなかったらしい。

その後、昭和27年5月10日、少女が日の丸プールで「オバケ」を発見し、荒川放水路バラバラ殺人事件が発覚。

「オバケ」発見が契機になったわけではなさそうですが、事件の後〜昭和30年頃には日の丸プールは姿を消し、「現在では跡形もない」とのこと。今は、扇ゴルフ練習場となっています。

歴史感じますね。

No Tsuri-ba! No Life!

 


https://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2017/08/4e37d13c32ef0429ee8e42b1465dcd6a.pnghttps://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2017/08/4e37d13c32ef0429ee8e42b1465dcd6a-150x150.pngishizaki釣りTALK事件,荒川こんにちわ!ツリーバライターのイシザキです! 今回の荒川事件簿では少し昔の事件を取り上げます。 荒川放水路バラバラ殺人事件。 ネーミングだけ聞くと、どんだけのサイコパスの話なんだよって感じですが、事件の経緯をみるとちょっと悲しい事件なんです。 早速事件内容を見ていきたいのですが・・・・調べる中でとにかく気になるワードがあったので思い切って別立てで記事にしてみました(【荒川事件簿】少女が発見したのはバラバラの「オバケ」。悲しい夫婦の事件簿。) そのワードとは・・・ 「日の丸プール」。 荒川放水路バラバラ殺人事件発覚の発端となった場所です。当時は新聞のトップになったほどの事件。当時はこの日の丸プールが日本の注目の的になっていたことでしょう。 ですが・・・・ 情報がない! ネットで調べて見ても写真は愚か、日の丸プールをまとめた記事すらない。事件のまとめ記事とか見てると、どこのページも「通称日の丸プール」。釣りする際に一番気になるのは、 で、日の丸プールってどこですか? ということなんですが、今はあるのか、ないなら元々どこにあったのか・・・肝心なことが書いてないじゃねぇか。 仕方ないので自分で調べてまとめて見ました。唯一参考になりそうな資料(荒川の昔ー遊びPDFファイル)を参考に。 通称日の丸プールの正体。本当の名前は太田溜(おおだだまり)と言います。事件発覚地の字名である「太田」の溜ということですね。つまり、太田地域にあった水溜のことなんです。なぜ「日の丸」なのかは結局わかりませんでした。 それでは、事件の発覚の場となった日の丸プールがどこなのか?それはズバリ・・・・現扇大橋のすぐ下流にある扇ゴルフ練習場の位置です。ここまでくるだけでも結構苦労したのですが・・・多分この結論であっていると思います。ちなみに、事件当時の1952年には扇大橋はなく、西新井橋は現在より80m上流にありました。 荒川の昔ー遊びPDFファイル 日の丸プールが、いつ、どういう経緯で作られたかはよくわかりません。ただ、このあたりは「荒木田」というレンガ造りに適した粘土がよくとれた。荒川放水路が作られる以前に、粘土を掘った跡が「日の丸プール」として活用されるようになったそうです。 では、日の丸プールとはなんに使われていたのか・・・・それは、 水練場(すいれんば)。 荒川の昔ー遊びPDFファイル 水練場とはあまり聞きなれないですが、今でいうプールです。戦前における日の丸プールは子供達が泳ぎを覚えるために利用され、「向井流」という日本の古式泳法のぬき手、立ち泳ぎ、遠泳などが教えられ、相当な賑わいだったようです。 今でこそ多くの学校にプールが設けられていますが、昔はその辺の川や池で泳ぎの練習をしたんですね。 ちょっと想像し辛くないですか?でも、戦前くらいの荒川はとても澄んでいて、多くの人が荒川で遊泳して楽しんでいたようです。ちなみに、現在の荒川って泳げるんですかね?僕は何回かこの夏に荒川に釣りに出かけたのですが、泳いでいる人を一回も見たことがありません。遊泳禁止なんですか?それともやはりアソコで泳ぐ勇者はいないってことなんですかね・・・ 日の丸プールの写真が全く出てこなかったのですが、資料から情景を想像してみます。自分のイメージがズレている可能性もありますが。資料によると、干潮時には泳げない程度にまで水が引く「天然プール」というエリアが現在のゴルフ練習場付近に広がっていた。満潮時は泳ぐことも可能だったが、ある老人によれば深い所でも子供の胸程度の浅い「大きな水溜まり」だったらしい。しかし、干潮時でも泳げるエリアが「天然プール」エリアの中にあった。それが「日の丸プール」。ひょうたん型をした日の丸プールで子供たちはワーワーいいながら遊んだのでしょう。 日の丸プールの近くには寺地小学校があり、そこの生徒が日の丸プールで泳ぎを磨き、水泳大会で大活躍したそうです。 戦後の昭和20年代前半、日の丸プールは向井流の水練場としての役割を終えましたが、子供達の夏の遊び場として賑わっていたそうです。ヨシヅ張りの小屋には監視員がおり、彼に10円を払って入場。赤ふん姿の少年達は水の中で鬼ごっこをしたり、飛込み台から日の丸プールに飛び込んだりして遊んでいたそうです。 太陽の破片を求めて 泳ぎながらシジミをとったり、ウナギをとったり、近くの畑からキュウリやトマトをパクったり・・・といった思い出を記されている老人もいらっしゃいました。まさに昭和の遊びですね。 ですが、昭和20年代半ばをすぎると、水質の悪化が問題視されるようになり、終には水泳禁止になってしまったそうです。ですが、その後も堅苦しいルールのない日の丸プールで泳ぐ子供が後をたたなかったらしい。 その後、昭和27年5月10日、少女が日の丸プールで「オバケ」を発見し、荒川放水路バラバラ殺人事件が発覚。 「オバケ」発見が契機になったわけではなさそうですが、事件の後〜昭和30年頃には日の丸プールは姿を消し、「現在では跡形もない」とのこと。今は、扇ゴルフ練習場となっています。 歴史感じますね。 No Tsuri-ba! No Life!  家族みんなが笑顔になる釣りWebフリーマガジン