どうもこんにちは!ツリーバ編集長のヒビヤです。

釣りとは関係なくもないのだが実はワタシの祖母が先日、5月26日にこの世を去った。96歳、大往生である。

荒川放水路が通水されるよりも前、大正11年の生まれだ。つまり祖母が生まれた頃にはまだ荒川放水路には水がなかったと言うことになる。

もはや今の荒川を見ているとそこに川が存在していなかったことを想像するのが難しいが、通水から94年が経過し今日の姿になったことは事実だ。毎日のように釣りをしていると、ところどころにその歴史の痕跡が顔を覗かせている事に気がつく。

荒川の通水、そして変化とともにこの地で暮らしてきた祖母からは荒川にまつわる多くの話を聞いて育った。

その一つに20年以上前に他界した祖父が若かった頃の話がある。

渓流の釣り師であったが、趣味なのか食料確保なのか売るためなのか荒川で投網やヨツデで雷魚を獲っていたそうなのだが、当時は今以上に何かしら理由のある水死体がよく流れてきたそうで、投網や巨大なヨツデに入った水死体を棒でつついてやり過ごすこともあったようだ。

そんなある日、雨が降ると雷魚がよく獲れるため荒川で漁をしていると暗雲がさらに黒さを増し、あたりは暗くなりはじめた。雨は激しくなる一方。そして激しく鳴り響く雷。ふとアノ時のことを思い出して怖くなり網を片付けるよりも早く大急ぎでびしょ濡れになりながら帰ってきたと言う笑えない話を笑いながら聞かせてくれた。

一大国家事業としての荒川放水路開削、釣り場や遊び場としての荒川放水路、思い出はいつも荒川とともにあるものなのだ。

祖母の告別式の翌日、子の通う保育園の親子遠足があり、良いのか悪いのか場所は葛西臨海水族園である。

もうみなさんお気付きだろう。

釣りをしない手はない!

普通であれば家族に不幸があったのであればしばらく遊びは自粛したりするのだろうが、自分のことで何かを取りやめることをとても嫌う祖母である。最期の入院となった日の直前にも出かけようとするワタシに、釣りに行くのか?気をつけろよと声をかけてくれた。

今日だってそう声をかけてくれているに違いない。

6月2日 13時〜16時

中潮ド干潮

晴天、暑い

少々強い南風

 

このポイントへ来た時は誰もいなければまず干潟からエントリーするのだがとにかく水位が低く干潟が伸びる先まで行かなくては釣りにならない。

周辺の干潟はよく引き締まっており長靴でいつも十分釣りができている。

何も問題はない。

踏み出すとしっかりとした干潟の心地よい感触が靴の裏を通して伝わってくる。裸足で歩いたら気持ちよさそうだ。

ズズッ

ん?少し緩いな。

ズズズズッ

!!!!!!!

ズボボボボボボボ

長靴が許容するよりも深く完全に埋まる右足。

マジか!

引き返そうとするが足が抜けない。

なんとか引っこ抜き左足を振り向きざまに着く。

ズボボボボボボボ

なんでだよ!来る時は引き締まってたじゃねーか!

もはや前進も後退も不能。

足を引き抜こうとする姿勢の重心は上半身とともに前方へと移動するが足が残されている。つまり前に倒れる。

右足、左足、左手を干潟に飲み込まれ、右手にはロッドを持った状態である。

これが水着だらけのなんとやらなら大盛り上がりだろうがワタシはただの釣りオジサンだ。

水着だらけどころか手指が牡蠣殻で傷だらけである。なんとか脱出し水着だらけならぬ泥だらけの長靴と手を洗うと海水がチクリと傷にしみる。

この水位だとまともに釣りができるのは渚橋周辺から干潟を除く荒川の手前までだ。

濡れたズボンを乾かしがてらランガンしていく。

子どもたちが運河の対岸で妻と遊んでいるのが見える。ワタシを見つけるなり大きな声でワタシを呼び手を振っている。

妻もワタシの気持ちを悟ってか今日だけは制限を設けずに釣りをさせてくれているのがありがたい。

忘れたくとも思い出す複雑な思いに折り合いがつく頃ポイント終端でソルトバイブをジャークしているとゴゴゴっとした前あたりのような、根掛かり寸前のような感触が伝わってくる。

少しソフトにジャークするとゴグっとしたアタリが出た。

キタ━(・∀・)━!!!!

向こう合わせ!

ドルルルルルルルルル

寄せてくると濁りのきつい水中にギラリと光る魚体が見えた。50センチぐらいだろうか。ただ異様に引きが強くなんとなくシーバスではないような気がしなくもない。

ドラグがチリチリと出始めたところで、

ウフン♪

フックアウト!ヒビヤーアウトー!

その後は引き返しながら同じようにソルトバイブのジャーキングで探っていると小さいのが乗ったがバレてしまった。

それ以外にもルアーへのアタックもあり、日中に魚の活性が上がってきたのは間違いなさそうだ。海は確実に夏へと向かっている。

渚橋を越え東渚との間にある運河まで探るが飽きてきたところで納竿することにした。

この頃にはすっかりズボンも乾き、パタパタとはたけば汚れは目立たない程度に落とせたが、黒いズボンには誰が見ても一目でわかる泥汚れ。家族連れやカップルの視線を気にしないように遠くの空を見て歩く。

日が傾き始めた夏の夕暮れのような渚橋の上をトボトボと歩いていると、子どもの頃に泥だらけになっていつまでも釣りをしているワタシを呼ぶ祖母の声が聞こえたような気がした。

それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!

https://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2018/06/72B37AA1-832E-457B-BA61-5615B23D1176-1024x768.jpeghttps://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2018/06/72B37AA1-832E-457B-BA61-5615B23D1176-150x150.jpegtsuri-ba荒川のシーバスフィッシングシーバス,デイシーバス,荒川,葛西海浜公園どうもこんにちは!ツリーバ編集長のヒビヤです。 釣りとは関係なくもないのだが実はワタシの祖母が先日、5月26日にこの世を去った。96歳、大往生である。 荒川放水路が通水されるよりも前、大正11年の生まれだ。つまり祖母が生まれた頃にはまだ荒川放水路には水がなかったと言うことになる。 もはや今の荒川を見ているとそこに川が存在していなかったことを想像するのが難しいが、通水から94年が経過し今日の姿になったことは事実だ。毎日のように釣りをしていると、ところどころにその歴史の痕跡が顔を覗かせている事に気がつく。 荒川の通水、そして変化とともにこの地で暮らしてきた祖母からは荒川にまつわる多くの話を聞いて育った。 その一つに20年以上前に他界した祖父が若かった頃の話がある。 渓流の釣り師であったが、趣味なのか食料確保なのか売るためなのか荒川で投網やヨツデで雷魚を獲っていたそうなのだが、当時は今以上に何かしら理由のある水死体がよく流れてきたそうで、投網や巨大なヨツデに入った水死体を棒でつついてやり過ごすこともあったようだ。 そんなある日、雨が降ると雷魚がよく獲れるため荒川で漁をしていると暗雲がさらに黒さを増し、あたりは暗くなりはじめた。雨は激しくなる一方。そして激しく鳴り響く雷。ふとアノ時のことを思い出して怖くなり網を片付けるよりも早く大急ぎでびしょ濡れになりながら帰ってきたと言う笑えない話を笑いながら聞かせてくれた。 一大国家事業としての荒川放水路開削、釣り場や遊び場としての荒川放水路、思い出はいつも荒川とともにあるものなのだ。 祖母の告別式の翌日、子の通う保育園の親子遠足があり、良いのか悪いのか場所は葛西臨海水族園である。 もうみなさんお気付きだろう。 釣りをしない手はない! 普通であれば家族に不幸があったのであればしばらく遊びは自粛したりするのだろうが、自分のことで何かを取りやめることをとても嫌う祖母である。最期の入院となった日の直前にも出かけようとするワタシに、釣りに行くのか?気をつけろよと声をかけてくれた。 今日だってそう声をかけてくれているに違いない。 6月2日 13時〜16時 中潮ド干潮 晴天、暑い 少々強い南風   このポイントへ来た時は誰もいなければまず干潟からエントリーするのだがとにかく水位が低く干潟が伸びる先まで行かなくては釣りにならない。 周辺の干潟はよく引き締まっており長靴でいつも十分釣りができている。 何も問題はない。 踏み出すとしっかりとした干潟の心地よい感触が靴の裏を通して伝わってくる。裸足で歩いたら気持ちよさそうだ。 ズズッ ん?少し緩いな。 ズズズズッ !!!!!!! ズボボボボボボボ 長靴が許容するよりも深く完全に埋まる右足。 マジか! 引き返そうとするが足が抜けない。 なんとか引っこ抜き左足を振り向きざまに着く。 ズボボボボボボボ なんでだよ!来る時は引き締まってたじゃねーか! もはや前進も後退も不能。 足を引き抜こうとする姿勢の重心は上半身とともに前方へと移動するが足が残されている。つまり前に倒れる。 右足、左足、左手を干潟に飲み込まれ、右手にはロッドを持った状態である。 これが水着だらけのなんとやらなら大盛り上がりだろうがワタシはただの釣りオジサンだ。 水着だらけどころか手指が牡蠣殻で傷だらけである。なんとか脱出し水着だらけならぬ泥だらけの長靴と手を洗うと海水がチクリと傷にしみる。 この水位だとまともに釣りができるのは渚橋周辺から干潟を除く荒川の手前までだ。 濡れたズボンを乾かしがてらランガンしていく。 子どもたちが運河の対岸で妻と遊んでいるのが見える。ワタシを見つけるなり大きな声でワタシを呼び手を振っている。 妻もワタシの気持ちを悟ってか今日だけは制限を設けずに釣りをさせてくれているのがありがたい。 忘れたくとも思い出す複雑な思いに折り合いがつく頃ポイント終端でソルトバイブをジャークしているとゴゴゴっとした前あたりのような、根掛かり寸前のような感触が伝わってくる。 少しソフトにジャークするとゴグっとしたアタリが出た。 キタ━(・∀・)━!!!! 向こう合わせ! ドルルルルルルルルル 寄せてくると濁りのきつい水中にギラリと光る魚体が見えた。50センチぐらいだろうか。ただ異様に引きが強くなんとなくシーバスではないような気がしなくもない。 ドラグがチリチリと出始めたところで、 ウフン♪ フックアウト!ヒビヤーアウトー! その後は引き返しながら同じようにソルトバイブのジャーキングで探っていると小さいのが乗ったがバレてしまった。 それ以外にもルアーへのアタックもあり、日中に魚の活性が上がってきたのは間違いなさそうだ。海は確実に夏へと向かっている。 渚橋を越え東渚との間にある運河まで探るが飽きてきたところで納竿することにした。 この頃にはすっかりズボンも乾き、パタパタとはたけば汚れは目立たない程度に落とせたが、黒いズボンには誰が見ても一目でわかる泥汚れ。家族連れやカップルの視線を気にしないように遠くの空を見て歩く。 日が傾き始めた夏の夕暮れのような渚橋の上をトボトボと歩いていると、子どもの頃に泥だらけになっていつまでも釣りをしているワタシを呼ぶ祖母の声が聞こえたような気がした。 それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!手は震え、動悸も止まらない釣りWebフリーマガジン