【源流の釣り2019】BAJAよ、一緒に林道を走るのは久しぶりだな!さようなら、山の仙人。
どうもこんにちは!TMNよろしく気温16度の土砂降りの中バイク飛ばし寒さで死ぬかと思った編集長のヒビヤです。
少々マシンに不安は残るものの無事に愛車XR250BAJAで今年初となるテンカラ釣行キャンプへと単独、行ってきた。
釣行レポートの前に一つみなさんにお伝えしたいことがある。
ワタシの源流釣行記事にいつも登場する山の仙人サトヤンさん、天国へと旅だってしまった。
それを知ったのは檜枝岐のテン場へと到着したその日である。
仙人はこのテン場、あるいは山小屋の管理人として今では顔となっているが実はここの人ではない。福島県出身ではあるが地域が離れており、現在の住まいは神奈川県にあり我々と同じく登山、あるいは釣りの常連客として40年以上も山小屋に通い詰めた人の一人だったのだ。
オーナーの奥様が亡くなり、ちょうど定年退職を迎えた仙人が5、6年ほど前から管理人として指名されたワケだ。
通常家族がいたり、何かあればシーズン中に家を空けて山に滞在するなど難しいはずであるが、独り身であり自由人。どうせ家にいても酒を飲んで音楽を聴いて、タバコを吸って本を読んでいるだけだからこちらに来た方が友達もいるし何かと楽しみなのだと言っていた。
ワタシに子どもが生まれてからは7月にならないとなかなか行かれなくなりここ数年はずっとそうだったため去年の6月に突然訪れた時は驚くような嬉しそうなような、いつものニヤニヤとした顔で「なんだ7月に来ると思ってのに」と言っていた。
もちろん今年もそう言うかと思い少々驚かせたい気持ちもあり山小屋の軒下にある仙人の特等席を横目にオートバイをテン場へと滑り込ませるが仙人の姿がない。
それどころかドアにはカーテンがひかれている。
乗り物を持たない仙人は時折オーナーと一緒に温泉に行ったり、時には一旦自宅に帰宅することもあるのできっとそうなのだろうと思いつつも、外に置かれた洗濯機もなく裏口は板が打たれたまま。
なんとなく嫌な予感はしていたのだが、嫌な予感とはよく当たるものでオーナーがやってきた時に話を聞くと、5月10日にこの檜枝岐の地で亡くなったとのこと。
本来であれば5月10のキャンプ場オープンと同時に仙人は自宅からはるばるやって来るはずだったのだが早めに来る常連の釣り人たちもいるからと5月5日に来ていつも通り過ごしていた。
どうも具合が悪いと言ってはいたようなのだが、元々糖尿病、心臓疾患、高血圧と体が健康な方ではなかったため本人もそんなに気にしていなかったのだろう。
オーナーが最後に会ったのは5月9日の16時半頃。
翌朝、キャンプ場オープンの日にオーナーが来てみるとカーテンが閉まったままで変だなと様子を見に行くと、小屋でひとり、二度と起きることが無かったそうだ。
ワタシの息子もとても懐いているのだが息子も特別多くを話すわけでもなく、仙人の近くでウロウロし、仙人も仙人で何を言うわけでもなくただただ本を読んでいる。そんなバランスの取れた二人の関係がとても心地よかった。
そうかと思えば息子と手を繋いでキノコを採りに行ったりと何かとかわいがってもくれていた。
子どもが居なかった頃のワタシがBAJAでいつも来ていたことをよく知っている、そんな仙人がいなくなってしまった。
右と言われれば左に向かい、左と言われれば右に向かう、そんな天邪鬼なワタシが唯一アドバイスを聞き入れる大きな存在。
彼なくしてワタシの山の釣りはあり得なかったのだ。もちろん実際に現場に連れて行って教えてくれた師匠たちもいる。
しかしだ、仙人とは一度も一緒に釣りをしに行ったこともない上に仙人が釣りにでかけたのを見たのはたったの一度だけ。
それでも彼のアドバイスを素直に聞くと想像以上の釣りができる。やりたいけど躊躇していた毛鉤釣りの世界へとワタシを後押しをしてくれたのも仙人だ。
おかげで今では所謂ルアーロッドをつかった山の釣りは全くやらなくなってしまった。
藪沢も本流も毛鉤一筋だ。
一緒に酒を飲み話すようになったのはこの10年ぐらい。そうは言っても会うのは年に数回。ワタシが釣りに行った時だけである。
しかしながらその存在は本当に大きすぎた。
ふと小屋を見ればいつも座って本を読んでいた椅子には誰もいない。
仙人がこの椅子から見ていた風景はいつもこうだったに違いない。
仙人の軌跡を辿るように誰もいない小屋に入り、酒盛りの時にいつも座っていた仙人の椅子に座ってみる。いつでも何を言っているのかわからないのに酒を飲むとさらに何を言っているのかわからなくなる仙人の視界を想像し、大量に置かれた仙人の蔵書もその視点から見てみる。テーブルに手向けられた花といいちこ。どちらも仙人が好きなものだ。
夕方になれば灯りのともる小屋も真っ暗なまま。
いつもであればバカっと開く換気扇、ガラス越しにゆっくりとした動きで料理をする姿が映り、焚き火をしているとゆっくりと近づいてきてあっちで酒飲もうよと誘いに来る。一人が好きなのにさみしがり屋の仙人。
どこか他人とは思えない。そんな姿ももう二度と見ることができないのだ。
天気予報では午後から晴れ間が出るはずであったがずっと雨が降っている。ふと心の隙間に仙人が現れては今日の空のように降りそうになる涙を必死に堪える。
心にぽっかりと穴が空いたよう、とはこう言う事を言うのではないだろうか。基本サイボーグのように冷徹な心の持ち主であるワタシはそうした気持ちになったことがなく初めての経験である。
もしかしたらそう自分を納得させているだけなのかもしれないが、自宅マンションで孤独死を迎えるよりも40年以上も通った大好きな檜枝岐の地で天国へと旅立てたのはある意味幸せだったのかもしれない。
ただ、誰も仙人の年齢、名字以外の名前、交友関係、親戚、そうしたことを知らないので身元不明と言うことで警察が介入し福島県にいるご兄弟が引き取り、ワタシが現地入りした翌日には納骨を済ませたと連絡があったそうだ。考えてみれば49日を少し過ぎた頃である。
自分のことをほとんど語ることがなくこうして謎に包まれた怪しさも仙人らしさなのではないだろうか。
享年68歳、早すぎる死とも思わないしなるべくしてなった運命である。
ご冥福をお祈りします、などとワタシは仙人には言わない。
そして釣りもさることながら、不本意ながらも死をもって感じさせてくれた貴重な感情体験をありがとう。
さようなら。
また来月、なんとか折り合いを付けて行きます!
それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!
https://tsuri-ba.net/?p=20478https://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2019/07/sennin.jpghttps://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2019/07/sennin-150x150.jpg渓流・源流の釣りXR250BAJA,キャンプ,テンカラ,仙人,檜枝岐,毛鉤どうもこんにちは!TMNよろしく気温16度の土砂降りの中バイク飛ばし寒さで死ぬかと思った編集長のヒビヤです。 少々マシンに不安は残るものの無事に愛車XR250BAJAで今年初となるテンカラ釣行キャンプへと単独、行ってきた。 釣行レポートの前に一つみなさんにお伝えしたいことがある。 ワタシの源流釣行記事にいつも登場する山の仙人サトヤンさん、天国へと旅だってしまった。 それを知ったのは檜枝岐のテン場へと到着したその日である。 仙人はこのテン場、あるいは山小屋の管理人として今では顔となっているが実はここの人ではない。福島県出身ではあるが地域が離れており、現在の住まいは神奈川県にあり我々と同じく登山、あるいは釣りの常連客として40年以上も山小屋に通い詰めた人の一人だったのだ。 オーナーの奥様が亡くなり、ちょうど定年退職を迎えた仙人が5、6年ほど前から管理人として指名されたワケだ。 通常家族がいたり、何かあればシーズン中に家を空けて山に滞在するなど難しいはずであるが、独り身であり自由人。どうせ家にいても酒を飲んで音楽を聴いて、タバコを吸って本を読んでいるだけだからこちらに来た方が友達もいるし何かと楽しみなのだと言っていた。 ワタシに子どもが生まれてからは7月にならないとなかなか行かれなくなりここ数年はずっとそうだったため去年の6月に突然訪れた時は驚くような嬉しそうなような、いつものニヤニヤとした顔で「なんだ7月に来ると思ってのに」と言っていた。 もちろん今年もそう言うかと思い少々驚かせたい気持ちもあり山小屋の軒下にある仙人の特等席を横目にオートバイをテン場へと滑り込ませるが仙人の姿がない。 それどころかドアにはカーテンがひかれている。 乗り物を持たない仙人は時折オーナーと一緒に温泉に行ったり、時には一旦自宅に帰宅することもあるのできっとそうなのだろうと思いつつも、外に置かれた洗濯機もなく裏口は板が打たれたまま。 なんとなく嫌な予感はしていたのだが、嫌な予感とはよく当たるものでオーナーがやってきた時に話を聞くと、5月10日にこの檜枝岐の地で亡くなったとのこと。 本来であれば5月10のキャンプ場オープンと同時に仙人は自宅からはるばるやって来るはずだったのだが早めに来る常連の釣り人たちもいるからと5月5日に来ていつも通り過ごしていた。 どうも具合が悪いと言ってはいたようなのだが、元々糖尿病、心臓疾患、高血圧と体が健康な方ではなかったため本人もそんなに気にしていなかったのだろう。 オーナーが最後に会ったのは5月9日の16時半頃。 翌朝、キャンプ場オープンの日にオーナーが来てみるとカーテンが閉まったままで変だなと様子を見に行くと、小屋でひとり、二度と起きることが無かったそうだ。 ワタシの息子もとても懐いているのだが息子も特別多くを話すわけでもなく、仙人の近くでウロウロし、仙人も仙人で何を言うわけでもなくただただ本を読んでいる。そんなバランスの取れた二人の関係がとても心地よかった。 そうかと思えば息子と手を繋いでキノコを採りに行ったりと何かとかわいがってもくれていた。 子どもが居なかった頃のワタシがBAJAでいつも来ていたことをよく知っている、そんな仙人がいなくなってしまった。 右と言われれば左に向かい、左と言われれば右に向かう、そんな天邪鬼なワタシが唯一アドバイスを聞き入れる大きな存在。 彼なくしてワタシの山の釣りはあり得なかったのだ。もちろん実際に現場に連れて行って教えてくれた師匠たちもいる。 しかしだ、仙人とは一度も一緒に釣りをしに行ったこともない上に仙人が釣りにでかけたのを見たのはたったの一度だけ。 それでも彼のアドバイスを素直に聞くと想像以上の釣りができる。やりたいけど躊躇していた毛鉤釣りの世界へとワタシを後押しをしてくれたのも仙人だ。 おかげで今では所謂ルアーロッドをつかった山の釣りは全くやらなくなってしまった。 藪沢も本流も毛鉤一筋だ。 一緒に酒を飲み話すようになったのはこの10年ぐらい。そうは言っても会うのは年に数回。ワタシが釣りに行った時だけである。 しかしながらその存在は本当に大きすぎた。 ふと小屋を見ればいつも座って本を読んでいた椅子には誰もいない。 仙人がこの椅子から見ていた風景はいつもこうだったに違いない。 仙人の軌跡を辿るように誰もいない小屋に入り、酒盛りの時にいつも座っていた仙人の椅子に座ってみる。いつでも何を言っているのかわからないのに酒を飲むとさらに何を言っているのかわからなくなる仙人の視界を想像し、大量に置かれた仙人の蔵書もその視点から見てみる。テーブルに手向けられた花といいちこ。どちらも仙人が好きなものだ。 夕方になれば灯りのともる小屋も真っ暗なまま。 いつもであればバカっと開く換気扇、ガラス越しにゆっくりとした動きで料理をする姿が映り、焚き火をしているとゆっくりと近づいてきてあっちで酒飲もうよと誘いに来る。一人が好きなのにさみしがり屋の仙人。 どこか他人とは思えない。そんな姿ももう二度と見ることができないのだ。 天気予報では午後から晴れ間が出るはずであったがずっと雨が降っている。ふと心の隙間に仙人が現れては今日の空のように降りそうになる涙を必死に堪える。 心にぽっかりと穴が空いたよう、とはこう言う事を言うのではないだろうか。基本サイボーグのように冷徹な心の持ち主であるワタシはそうした気持ちになったことがなく初めての経験である。 もしかしたらそう自分を納得させているだけなのかもしれないが、自宅マンションで孤独死を迎えるよりも40年以上も通った大好きな檜枝岐の地で天国へと旅立てたのはある意味幸せだったのかもしれない。 ただ、誰も仙人の年齢、名字以外の名前、交友関係、親戚、そうしたことを知らないので身元不明と言うことで警察が介入し福島県にいるご兄弟が引き取り、ワタシが現地入りした翌日には納骨を済ませたと連絡があったそうだ。考えてみれば49日を少し過ぎた頃である。 自分のことをほとんど語ることがなくこうして謎に包まれた怪しさも仙人らしさなのではないだろうか。 享年68歳、早すぎる死とも思わないしなるべくしてなった運命である。 ご冥福をお祈りします、などとワタシは仙人には言わない。 そして釣りもさることながら、不本意ながらも死をもって感じさせてくれた貴重な感情体験をありがとう。 さようなら。 また来月、なんとか折り合いを付けて行きます! それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!tsuri-ba日比谷 泰宏info@tsuri-ba.netAdministratorツリーバ
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