どうもこんにちは!帰宅するも早々に檜枝岐に帰りたくなる編集長のヒビヤです。

旅行などどこか非現実的なところへ行ったあとはみなさん同じような感情かもしれないが、ワタシは檜枝岐、特に源流域での沢登り、あるいは釣りから帰ると日常の物事全てへの興味がしばらく無くなるのが不思議である。むしろ日頃よりもストレスを感じることが多くなるのだ。それだけ檜枝岐にいるときにはストレスフリー、と言うことなのだろう。

前回の記事で山の仙人が天国へと旅立ってしまったことをみなさんにお伝えしたが、到着当日の夜には一旦雨が上がり雲一つないプラネタリウムのような夜空となった。

標高1000メートルから見る星空と言うのは東京で見る星空とは大違いで星とはこんなにも無数に大小あるものなのかと驚くばかりである。

早めに就寝したとは言え、3時には自然と目が覚めてしまいそこからは眠ることなく4時半にテントを抜け出すと久しぶりのテンカラ釣行にふさわしく晴れ間が出そうな空が山の向こうから覗いている。

リュックにテンカラ竿、渓流竿、冷たい水を入れたプラティパスを入れて装備を調えると雨でびしょ濡れになったBAJAのエンジンをかける。

排ガス規制でAIシステムが導入されてからと言うものこの季節でもコールドスタート時にはチョークを使った方が始動しやすい。

チョークを上げたまましばらくアイドリングさせていると突然のエンジンストール。

セルを回しても再始動できない。

エキゾーストパイプの雨が蒸発したものなのか漏れたオイルが焼けている煙とニオイなのか、判断することができない。なんとなくオイルのニオイがするような気もするが、雨が降った時はいつもこう言うニオイがしていた気もする。

元々抱えていた不安箇所のことで思考がマシントラブルから他へ向かなくなっているのだ。

もしや?

燃料コックをONからRESに切り替えるとすんなりエンジンは始動した。

つまり、メイン燃料切れである。

考えてみれば300km近く無給油で走行しているのだ、リザーブになるまでのガソリン10リットルを消費していてもなんら不思議はない。むしろよく走れたものだ。

ビッグタンクのリザーブは4リットル。これだけあれば最低でも100kmは走ることができる。恐らく帰りがてらどこかで給油すれば十分だろう。

念のためオイル漏れやガソリン漏れがないかを確認し、本流に沿ってダート林道を走り目的の沢へ入る最短ルートを取るためのスペースにBAJAを停めると早速川を徒渉し少し下る。

あとで気が付いたのだが、徒渉する前に下ってしまった方が楽であった。

去年9月に入って以来、久しぶりの枝沢だ。渓相に変化はない。あの時のままだ。

遡行からしばらくは魚がいないことがわかっているので久しぶりのテンカラ竿に慣れるため毛鉤をゆるやかに飛ばしながらのんびりと遡行していく。

深呼吸をすると冷たい空気が肺に流れ込み刺激となるのか、まだ完治していない咳喘息が刺激される

この沢で先行者に会ったこともないが、間違いなくこの時間にこの沢に入っているのはワタシだけである。

ワタシひとりだけのとっておきの沢だ。

最初の有力ポイントが見えてくるとそっと段差の下から覗き込むがどうも魚の気配がない。被さった木を避けるように慎重に毛鉤を打つが何も出てこない。毛鉤を浮かばせても沈めても出てこない。

去年、放流ものの40センチを釣った次の有力ポイントも同様である。

正確にはこちらにはイワナがいるのだが毛鉤には全く反応しない。多少気にしてはいるのだが食う前に離れてしまう。

テンカラ竿を気持ちよく振れるのはここまででこれを過ぎると渓流竿でチョウチンテンカラにしないとどうにもならないエリアになってしまう。

テンカラ竿でかける前に渓流竿に切り替えるのは心残りではあるが、まずは一匹を釣ることが優先である。

夢中になるあまり存在を忘れていた時計を見ると沢に入ってから実に2時間が経過している。

実はここまでに大小3匹ほどバラしてはいたのだ。

さらに遡行しつつ毛鉤の打ち込みを続けていると道糸にようやく変化が出た。

チョウチン釣りは極端に道糸が短くほとんど流せないため、竿を引いて少しだけ流した道糸がピタッと止まった。

魚の泳ぐ動きに合わせて微かに揺れているのがわかる。

今度こそバラさないぞ。

一呼吸置いてガッチリと合わせを叩き込むと深く鉤が刺さり全く不安感なく取り込むことができた。

20センチほどの背中に傷のある綺麗なイワナだ。今年初、令和初の貴重なイワナである。

20センチを超えていれば燻製用にキープするのだが、今回は全てリリースだ。仙人亡き今日は殺生しない、そんな綺麗な理由ではない。燻製にしてくれる仙人がいなくなってしまったのだからリリースするしかないのだ。

もちろん自分でも燻製作りはするのだが今回はオートバイによる釣行と言うことで燻製をするための道具も時間もなく、そう言う時は決まって仙人に釣ったイワナを預けると後日燻製にして誰かに振る舞うことになりその代わり、誰かが釣って燻製にされたイワナをいただくのだ。

いつの間にかこうしたシステムが自然とできあがっていた。子どもたちが遊んでいると自然と商売のようなルールができあがるのに似ている。

少しだけ広いところが出てきたところでここぞとばかりに渓流竿からテンカラ竿に持ち替えて毛鉤を打ち込むとすぐにアタリが出た。先ほどと同様道糸がピタっととまり流れとは逆方向に道糸が進んでいく。

間違いない。イワナが毛鉤を食っている。

間合いを計り合わせを叩き込むと乗った。ずっしりとした重さと強い引きで良型であることがわかる。

しかしながら抵抗するイワナのジャンプ一発でバレてしまった。

どうも川の中の季節が遅れているのか、水面には全く出てこない。毛鉤を沈めないと食ってこないのだ。トップウォーターマニアとしてはパチャっと飛び出すところが見たいのだが、こればかりは季節、水温、生き物の成育、全ての条件が連鎖して変動するものなのだから仕方がない。

その後もチョウチンテンカラで2匹ほどイワナをキャッチする事ができたが釣果としては少々もの足らない。贅沢な話である。

うち1匹はちょっと面白い釣れ方だった。絡まりかけた道糸を竿を振って解いている拍子に毛鉤が水の中へ入ったら釣れてしまったのだ。

もっと遡行するのか、沢を変えるのか。判断しなくてはならない。

恐らくこれ以上遡行しても結果は変わらない。それであれば沢を変えた方が得策であろうと判断をし、下山することにした。BAJAの元へと戻るとテンカラ竿を思いっきり振れる本流に入ろうと林道をしばらく上がっていくが釣り人たちの車があちこちに停まっており本日は満員御礼である。

こんな時、仙人ならどこを選ぶだろうか。

テンカラ竿を振るには厳しい沢ではあるが何かと良い釣果の出ている沢筋へと向かうことにした。

ここはガレた林道を走る必要があり足つき悪く車重のあるBAJAだと少々怖い場面もある。カブの方がよっぽど走りやすい。慎重に走り倒木でこれ以上進めないところにBAJAを停めると念のため燃料コックをOFFにし、今回はあまり無理な藪漕ぎはせずに楽なルートを取って沢へと入るが、やはりここも魚の気配がほとんど無い。

この沢がどこまで続きどこまで釣りができるのか、実はわからない。大きな滝がなくどこまででも行けそうなのだが上がれば上がるほど魚の気配は消えて行く。

バラしが一度あったが、なんとか良型のイワナを一匹釣り上げることができた。

途中晴れ間も出ていたが曇り空に変わり、時計を見ると時刻は12時。実に7時間にもわたり釣りをしていたことになるが、いつもであれば沢でひとりランチタイムを挟んで再開するところなのだが、なんだかとても疲れてしまった。これ以上の遡行は何かストレスになりそうだ。

午後は天気が大きく崩れる予報が出ているから、と自分を言い聞かせストレスを感じる前に下山することにした。

いつもなら良型のイワナをテン場へと持ち帰ると何も言わずに魚を見てニヤニヤし、誰かが来ると結構大きいの釣ってきたよ、と自分の子の自慢をする親のようにワタシのイワナを見せていた仙人がもういないのだと思うと忘れていた悲しさが急激に溢れだしてきた。

ワタシも褒められたい子どものように大きなイワナを網に入れ、腰からぶらさげてテン場に戻るのがいつも楽しみであった。

サトヤンさんの言う通りにしたらほら、いいの釣れたよ!

一つの楽しみが減ってしまったのかどうかわからないが、少なくともあったものが無くなってしまったのは確かだ。

悲しみを振り切るようにBAJAを走らせテン場へと戻ると常連の方が来ていた。仙人がいつもアベちゃんと呼んでいる常連の方だ。

お互い避けたのかわからないが少なくともワタシは仙人の話はあえてせずに釣りに絡む雑談、歓談をし温泉で汗とも涙ともつかないものを流しテン場で酒を飲みながら雨のキャンプを快適に楽しむための準備に取りかかる。

辺りが暗くなりふと小屋を見ると灯りが点いている。もちろんアベちゃんがいるからなのだが、まるで仙人がいるような錯覚さえ覚えてしまう。

明日は釣りをせずに帰るだけだ。自然に目が覚めるまで眠れば良い。あるいはこのまま目が覚めなかったらどうなるのか。

そんなつまらない事を考えた事も忘れ結局5時には目が覚めてしまい、タープからはみ出したテントにぶつかる激しい雨の音が聞こえる。

天気予報では昼までは降り続くらしく、さすがにそこまでのんびりしているワケにも行かぬので少しずつ少しずつ、帰ることを拒むように荷物をまとめBAJAに積むと嫌がる心を無理矢理引きずりながらBAJAのクラッチをつないだ。

道の途中にある気温計に表示されている数字は16度。古いレインウェアはしばらく耐えていたがいよいよ限界を迎えたようで雨が染みこんでくる。そこに強風が重なり凍えるように寒い。

実は寒くて眠れないのではないかとイージスオーシャンを持ってきていたのだ。

悲鳴を上げる体がいよいよ限界を迎える頃に道の駅番屋にたどり着き、ここでレインウェアーの下にイージスオーシャンを着込むとまるで死の淵から生き返ったかのように体力も気力も回復する。

イージスオーシャンを持ってきて本当によかったと思った瞬間である。備えあれば憂いなし、である。

そこからは渋滞もなく、雨の山道、高速道路を快適にライディングし何か心にひっかかる異物感を感じながらも無事に帰宅することができた。

いつまでも悲しんでもいられないが、しばらくは忘れることもできそうにない。

釣りをする時間はなくとも、7月中にもなんとか折り合いを付けて檜枝岐にまた行きたいと思う。

子どもたちも仙人がいなくなってしまった事実を受け止めなくてはならないが、子どもたちと登山をするのもいいだろう。咲き残ったニッコウキスゲやそろそろいなくなるホタルが見られるかもしれない。

BAJAよ、久しぶりに泥遊びをしたな。

それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!

https://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2019/07/hatsutenkara.jpghttps://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2019/07/hatsutenkara-150x150.jpgtsuri-ba渓流・源流の釣りXR250 BAJA,イワナ,テンカラ,檜枝岐,毛鉤,渓流,源流どうもこんにちは!帰宅するも早々に檜枝岐に帰りたくなる編集長のヒビヤです。 旅行などどこか非現実的なところへ行ったあとはみなさん同じような感情かもしれないが、ワタシは檜枝岐、特に源流域での沢登り、あるいは釣りから帰ると日常の物事全てへの興味がしばらく無くなるのが不思議である。むしろ日頃よりもストレスを感じることが多くなるのだ。それだけ檜枝岐にいるときにはストレスフリー、と言うことなのだろう。 前回の記事で山の仙人が天国へと旅立ってしまったことをみなさんにお伝えしたが、到着当日の夜には一旦雨が上がり雲一つないプラネタリウムのような夜空となった。 標高1000メートルから見る星空と言うのは東京で見る星空とは大違いで星とはこんなにも無数に大小あるものなのかと驚くばかりである。 早めに就寝したとは言え、3時には自然と目が覚めてしまいそこからは眠ることなく4時半にテントを抜け出すと久しぶりのテンカラ釣行にふさわしく晴れ間が出そうな空が山の向こうから覗いている。 リュックにテンカラ竿、渓流竿、冷たい水を入れたプラティパスを入れて装備を調えると雨でびしょ濡れになったBAJAのエンジンをかける。 排ガス規制でAIシステムが導入されてからと言うものこの季節でもコールドスタート時にはチョークを使った方が始動しやすい。 チョークを上げたまましばらくアイドリングさせていると突然のエンジンストール。 セルを回しても再始動できない。 エキゾーストパイプの雨が蒸発したものなのか漏れたオイルが焼けている煙とニオイなのか、判断することができない。なんとなくオイルのニオイがするような気もするが、雨が降った時はいつもこう言うニオイがしていた気もする。 元々抱えていた不安箇所のことで思考がマシントラブルから他へ向かなくなっているのだ。 もしや? 燃料コックをONからRESに切り替えるとすんなりエンジンは始動した。 つまり、メイン燃料切れである。 考えてみれば300km近く無給油で走行しているのだ、リザーブになるまでのガソリン10リットルを消費していてもなんら不思議はない。むしろよく走れたものだ。 ビッグタンクのリザーブは4リットル。これだけあれば最低でも100kmは走ることができる。恐らく帰りがてらどこかで給油すれば十分だろう。 念のためオイル漏れやガソリン漏れがないかを確認し、本流に沿ってダート林道を走り目的の沢へ入る最短ルートを取るためのスペースにBAJAを停めると早速川を徒渉し少し下る。 あとで気が付いたのだが、徒渉する前に下ってしまった方が楽であった。 去年9月に入って以来、久しぶりの枝沢だ。渓相に変化はない。あの時のままだ。 遡行からしばらくは魚がいないことがわかっているので久しぶりのテンカラ竿に慣れるため毛鉤をゆるやかに飛ばしながらのんびりと遡行していく。 深呼吸をすると冷たい空気が肺に流れ込み刺激となるのか、まだ完治していない咳喘息が刺激される この沢で先行者に会ったこともないが、間違いなくこの時間にこの沢に入っているのはワタシだけである。 ワタシひとりだけのとっておきの沢だ。 最初の有力ポイントが見えてくるとそっと段差の下から覗き込むがどうも魚の気配がない。被さった木を避けるように慎重に毛鉤を打つが何も出てこない。毛鉤を浮かばせても沈めても出てこない。 去年、放流ものの40センチを釣った次の有力ポイントも同様である。 正確にはこちらにはイワナがいるのだが毛鉤には全く反応しない。多少気にしてはいるのだが食う前に離れてしまう。 テンカラ竿を気持ちよく振れるのはここまででこれを過ぎると渓流竿でチョウチンテンカラにしないとどうにもならないエリアになってしまう。 テンカラ竿でかける前に渓流竿に切り替えるのは心残りではあるが、まずは一匹を釣ることが優先である。 夢中になるあまり存在を忘れていた時計を見ると沢に入ってから実に2時間が経過している。 実はここまでに大小3匹ほどバラしてはいたのだ。 さらに遡行しつつ毛鉤の打ち込みを続けていると道糸にようやく変化が出た。 チョウチン釣りは極端に道糸が短くほとんど流せないため、竿を引いて少しだけ流した道糸がピタッと止まった。 魚の泳ぐ動きに合わせて微かに揺れているのがわかる。 今度こそバラさないぞ。 一呼吸置いてガッチリと合わせを叩き込むと深く鉤が刺さり全く不安感なく取り込むことができた。 20センチほどの背中に傷のある綺麗なイワナだ。今年初、令和初の貴重なイワナである。 20センチを超えていれば燻製用にキープするのだが、今回は全てリリースだ。仙人亡き今日は殺生しない、そんな綺麗な理由ではない。燻製にしてくれる仙人がいなくなってしまったのだからリリースするしかないのだ。 もちろん自分でも燻製作りはするのだが今回はオートバイによる釣行と言うことで燻製をするための道具も時間もなく、そう言う時は決まって仙人に釣ったイワナを預けると後日燻製にして誰かに振る舞うことになりその代わり、誰かが釣って燻製にされたイワナをいただくのだ。 いつの間にかこうしたシステムが自然とできあがっていた。子どもたちが遊んでいると自然と商売のようなルールができあがるのに似ている。 少しだけ広いところが出てきたところでここぞとばかりに渓流竿からテンカラ竿に持ち替えて毛鉤を打ち込むとすぐにアタリが出た。先ほどと同様道糸がピタっととまり流れとは逆方向に道糸が進んでいく。 間違いない。イワナが毛鉤を食っている。 間合いを計り合わせを叩き込むと乗った。ずっしりとした重さと強い引きで良型であることがわかる。 しかしながら抵抗するイワナのジャンプ一発でバレてしまった。 どうも川の中の季節が遅れているのか、水面には全く出てこない。毛鉤を沈めないと食ってこないのだ。トップウォーターマニアとしてはパチャっと飛び出すところが見たいのだが、こればかりは季節、水温、生き物の成育、全ての条件が連鎖して変動するものなのだから仕方がない。 その後もチョウチンテンカラで2匹ほどイワナをキャッチする事ができたが釣果としては少々もの足らない。贅沢な話である。 うち1匹はちょっと面白い釣れ方だった。絡まりかけた道糸を竿を振って解いている拍子に毛鉤が水の中へ入ったら釣れてしまったのだ。 もっと遡行するのか、沢を変えるのか。判断しなくてはならない。 恐らくこれ以上遡行しても結果は変わらない。それであれば沢を変えた方が得策であろうと判断をし、下山することにした。BAJAの元へと戻るとテンカラ竿を思いっきり振れる本流に入ろうと林道をしばらく上がっていくが釣り人たちの車があちこちに停まっており本日は満員御礼である。 こんな時、仙人ならどこを選ぶだろうか。 テンカラ竿を振るには厳しい沢ではあるが何かと良い釣果の出ている沢筋へと向かうことにした。 ここはガレた林道を走る必要があり足つき悪く車重のあるBAJAだと少々怖い場面もある。カブの方がよっぽど走りやすい。慎重に走り倒木でこれ以上進めないところにBAJAを停めると念のため燃料コックをOFFにし、今回はあまり無理な藪漕ぎはせずに楽なルートを取って沢へと入るが、やはりここも魚の気配がほとんど無い。 この沢がどこまで続きどこまで釣りができるのか、実はわからない。大きな滝がなくどこまででも行けそうなのだが上がれば上がるほど魚の気配は消えて行く。 バラしが一度あったが、なんとか良型のイワナを一匹釣り上げることができた。 途中晴れ間も出ていたが曇り空に変わり、時計を見ると時刻は12時。実に7時間にもわたり釣りをしていたことになるが、いつもであれば沢でひとりランチタイムを挟んで再開するところなのだが、なんだかとても疲れてしまった。これ以上の遡行は何かストレスになりそうだ。 午後は天気が大きく崩れる予報が出ているから、と自分を言い聞かせストレスを感じる前に下山することにした。 いつもなら良型のイワナをテン場へと持ち帰ると何も言わずに魚を見てニヤニヤし、誰かが来ると結構大きいの釣ってきたよ、と自分の子の自慢をする親のようにワタシのイワナを見せていた仙人がもういないのだと思うと忘れていた悲しさが急激に溢れだしてきた。 ワタシも褒められたい子どものように大きなイワナを網に入れ、腰からぶらさげてテン場に戻るのがいつも楽しみであった。 サトヤンさんの言う通りにしたらほら、いいの釣れたよ! 一つの楽しみが減ってしまったのかどうかわからないが、少なくともあったものが無くなってしまったのは確かだ。 悲しみを振り切るようにBAJAを走らせテン場へと戻ると常連の方が来ていた。仙人がいつもアベちゃんと呼んでいる常連の方だ。 お互い避けたのかわからないが少なくともワタシは仙人の話はあえてせずに釣りに絡む雑談、歓談をし温泉で汗とも涙ともつかないものを流しテン場で酒を飲みながら雨のキャンプを快適に楽しむための準備に取りかかる。 辺りが暗くなりふと小屋を見ると灯りが点いている。もちろんアベちゃんがいるからなのだが、まるで仙人がいるような錯覚さえ覚えてしまう。 明日は釣りをせずに帰るだけだ。自然に目が覚めるまで眠れば良い。あるいはこのまま目が覚めなかったらどうなるのか。 そんなつまらない事を考えた事も忘れ結局5時には目が覚めてしまい、タープからはみ出したテントにぶつかる激しい雨の音が聞こえる。 天気予報では昼までは降り続くらしく、さすがにそこまでのんびりしているワケにも行かぬので少しずつ少しずつ、帰ることを拒むように荷物をまとめBAJAに積むと嫌がる心を無理矢理引きずりながらBAJAのクラッチをつないだ。 道の途中にある気温計に表示されている数字は16度。古いレインウェアはしばらく耐えていたがいよいよ限界を迎えたようで雨が染みこんでくる。そこに強風が重なり凍えるように寒い。 実は寒くて眠れないのではないかとイージスオーシャンを持ってきていたのだ。 悲鳴を上げる体がいよいよ限界を迎える頃に道の駅番屋にたどり着き、ここでレインウェアーの下にイージスオーシャンを着込むとまるで死の淵から生き返ったかのように体力も気力も回復する。 イージスオーシャンを持ってきて本当によかったと思った瞬間である。備えあれば憂いなし、である。 そこからは渋滞もなく、雨の山道、高速道路を快適にライディングし何か心にひっかかる異物感を感じながらも無事に帰宅することができた。 いつまでも悲しんでもいられないが、しばらくは忘れることもできそうにない。 釣りをする時間はなくとも、7月中にもなんとか折り合いを付けて檜枝岐にまた行きたいと思う。 子どもたちも仙人がいなくなってしまった事実を受け止めなくてはならないが、子どもたちと登山をするのもいいだろう。咲き残ったニッコウキスゲやそろそろいなくなるホタルが見られるかもしれない。 BAJAよ、久しぶりに泥遊びをしたな。 それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!手は震え、動悸も止まらない釣りWebフリーマガジン