どうもこんにちは!ツリーバ編集長のヒビヤです。

とうとう7月の源流釣行もこれで最後となった。シーズンも残すところあと2ヶ月となってしまい、いよいよ終わりが近づいたのだなと実感する。

源流や渓流だけではなくシーズンの定められた釣りをされる方であれば皆同じような、どこか寂しい気持ちと来シーズンに向けた期待とが入り混じる複雑な気持ちだろう。

毎週行くことができるのであればまだ2ヶ月あるじゃないかとも思えるが、片道5時間と言う日帰りには少々遠い距離である。せめて3連休でもないとファーザーズアングラーにはなかなか辛いものだ。

逆に考えると片道5時間かけられさえすれば近場では味わえない野生的な釣りが味わえる。

試したいこと、行ってみたい未知のポイントが無数にあり一生かかっても全部は見られないだろう。

その中で今回どうしても試したい、もう一度挑戦したいポイントがある。

先月の釣行で合わせ切れした尺上イワナがいた藪沢だ。あのイワナがまだ同じ場所でじっとしているとは思えないが、もしかしたら何か起きるのではないか。釣り人はいつもこうして確実性のない期待を込め、再現性を求めて釣り場へ向かうのだ。

あまり人が入らないエリアなのでどこへ行くにも慌てる必要もないのだが、人ひとりの幅しかない藪沢となれば話は別である。先行者がいれば別の沢を選ばなくてはならない。それでもいいのだが今回はどうしてもここでなくては試せない。藪沢であんなに立派なイワナを見てしまったのだから。

5時前に入渓ポイントへ向け、カブで荒れたダート林道を走り上り詰めて行くと先月と同じ場所にカブを停め、深い薮をかき分け沢へと降りて行く。先月とはこれと言って何か変わったところがあるようには見えない。

それでも記憶と実際の沢には乖離があるのだから面白い。

沢の下流から上流を見上げると早速毛鉤を振り込んで行く。

少しの間はテンカラ竿を振ることもできるのだがすぐに薮に覆われてしまうので今回は初めからチョウチンテンカラだ。

チョウチン釣りの場合は竿がズームであろうがなかろうがあまり関係ないのだが、ワタシが愛用している天平は5.4m〜6.1mのズーム竿だ。関係ないとは言えズーム竿であるからこそズームの範囲であれば気持ち良い調子で釣りができるのは釣りを楽しむ上では大切なファクターだろう。

いそうな場所におらず、いなさそうな場所にいることがある。これはどんな釣りでも同じであるがこと源流においてはいなさそうだからと雑に近づいてしまうとイワナに気づかれて後悔することになる。

氷のように冷たく透き通った水の中をスッと黒い大きな影に走られた時には本当にがっかりしてしまう。イワナはよっぽどこちらを警戒しない限りはかならず毛鉤に飛びつくからだ。

つまり釣れる魚を自分で逃してしまった、と言う後悔と悔しさに絶望することになるのだ。

だから藪沢の釣りは気が抜けない。少しでも身を低くし気づかれぬよう近づく必要があり、もはや狩の領域である。

時には相手もこちらも気づいておらず、一歩を踏み出そうとした時に餌を待ち構えるイワナの姿に気づき慌てて身を屈める、なんて言うまるでSWATが敵のアジトに潜入した時のようなシーンも度々体験する。

これが最高に楽しいのだ。

イワナの死角に立ち位置をとり毛鉤を落とす、水面を走らせる、すると本流とは違いイワナが水面から飛び出して食いにくる。恐らくそうした動きをする餌が豊富なのだろう。

何回か打ち込んでいると水面からイワナがまるでカエルのように飛び出した。23、4センチの美しいイワナが顔を出す。

さらに夢中になって毛鉤を打ち込んで行く。面白いようにイワナが飛びついてくるがタメの効かない釣りが故、ポロリと落ちてしまう事が多い。もう少しハリスが長くてもよかったかと思ったが面倒なのでこのまま釣りを続行する。

前回カモシカと遭遇した場所を越え、滑床が増えてきたがこのあたりでもイワナがよく出る。

その先にもまだまだ釣れそうなポイントはあるのだが、もう十分に釣れた。早めに戻って温泉を楽しもうではないか。

と、最後と決めたポイントに毛鉤を打ち込むとこの日最大サイズのイワナが顔を出してくれた。

26、7センチだろうか。なんて美しいのだ。これ以外のも同じようなサイズが3匹ほど顔を出してくれた。

美しい自然の中で美しい魚、あるいは獣たちと出会う。

つくづくワタシはこの釣りをやっていてよかったなと思う瞬間である。

温泉のあとにテン場で焚き火を見つめ、飲むビールを楽しみにゆっくりと下山する。

途中に停めたカブはこの3日間の林道走破で泥だらけ。

翌日は嫌でもなんでも帰らなくてはならぬ日である。早めに撤収して子どもたちの顔も見たい。

しかしこのままずっと山奥で毎日釣りができたらどんなに楽しいだろうか。

最終日は毎回相反する気持ちと現実との折り合いをつけるのに苦労する。

こうした心へ与える刺激がこの釣りのもう一つの魅力なのだと思う。毎日東京で仕事と家庭の生活を繰り返していたらこのような心への刺激は無いのかもしれない。

翌日からの日常へは刺激剤にならぬが、次への釣行への刺激剤にはなっている。

あと2ヶ月、どんな釣りが待っているのであろうか。

楽しみである。

それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!

https://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2018/09/40572927-981B-4564-82DB-244218170510.jpeghttps://tsuri-ba.net/wp-content/uploads/2018/09/40572927-981B-4564-82DB-244218170510-150x150.jpegtsuri-ba渓流・源流の釣りイワナ,テンカラ,檜枝岐,毛鉤,源流どうもこんにちは!ツリーバ編集長のヒビヤです。 とうとう7月の源流釣行もこれで最後となった。シーズンも残すところあと2ヶ月となってしまい、いよいよ終わりが近づいたのだなと実感する。 源流や渓流だけではなくシーズンの定められた釣りをされる方であれば皆同じような、どこか寂しい気持ちと来シーズンに向けた期待とが入り混じる複雑な気持ちだろう。 毎週行くことができるのであればまだ2ヶ月あるじゃないかとも思えるが、片道5時間と言う日帰りには少々遠い距離である。せめて3連休でもないとファーザーズアングラーにはなかなか辛いものだ。 逆に考えると片道5時間かけられさえすれば近場では味わえない野生的な釣りが味わえる。 試したいこと、行ってみたい未知のポイントが無数にあり一生かかっても全部は見られないだろう。 その中で今回どうしても試したい、もう一度挑戦したいポイントがある。 先月の釣行で合わせ切れした尺上イワナがいた藪沢だ。あのイワナがまだ同じ場所でじっとしているとは思えないが、もしかしたら何か起きるのではないか。釣り人はいつもこうして確実性のない期待を込め、再現性を求めて釣り場へ向かうのだ。 あまり人が入らないエリアなのでどこへ行くにも慌てる必要もないのだが、人ひとりの幅しかない藪沢となれば話は別である。先行者がいれば別の沢を選ばなくてはならない。それでもいいのだが今回はどうしてもここでなくては試せない。藪沢であんなに立派なイワナを見てしまったのだから。 5時前に入渓ポイントへ向け、カブで荒れたダート林道を走り上り詰めて行くと先月と同じ場所にカブを停め、深い薮をかき分け沢へと降りて行く。先月とはこれと言って何か変わったところがあるようには見えない。 それでも記憶と実際の沢には乖離があるのだから面白い。 沢の下流から上流を見上げると早速毛鉤を振り込んで行く。 少しの間はテンカラ竿を振ることもできるのだがすぐに薮に覆われてしまうので今回は初めからチョウチンテンカラだ。 チョウチン釣りの場合は竿がズームであろうがなかろうがあまり関係ないのだが、ワタシが愛用している天平は5.4m〜6.1mのズーム竿だ。関係ないとは言えズーム竿であるからこそズームの範囲であれば気持ち良い調子で釣りができるのは釣りを楽しむ上では大切なファクターだろう。 いそうな場所におらず、いなさそうな場所にいることがある。これはどんな釣りでも同じであるがこと源流においてはいなさそうだからと雑に近づいてしまうとイワナに気づかれて後悔することになる。 氷のように冷たく透き通った水の中をスッと黒い大きな影に走られた時には本当にがっかりしてしまう。イワナはよっぽどこちらを警戒しない限りはかならず毛鉤に飛びつくからだ。 つまり釣れる魚を自分で逃してしまった、と言う後悔と悔しさに絶望することになるのだ。 だから藪沢の釣りは気が抜けない。少しでも身を低くし気づかれぬよう近づく必要があり、もはや狩の領域である。 時には相手もこちらも気づいておらず、一歩を踏み出そうとした時に餌を待ち構えるイワナの姿に気づき慌てて身を屈める、なんて言うまるでSWATが敵のアジトに潜入した時のようなシーンも度々体験する。 これが最高に楽しいのだ。 イワナの死角に立ち位置をとり毛鉤を落とす、水面を走らせる、すると本流とは違いイワナが水面から飛び出して食いにくる。恐らくそうした動きをする餌が豊富なのだろう。 何回か打ち込んでいると水面からイワナがまるでカエルのように飛び出した。23、4センチの美しいイワナが顔を出す。 さらに夢中になって毛鉤を打ち込んで行く。面白いようにイワナが飛びついてくるがタメの効かない釣りが故、ポロリと落ちてしまう事が多い。もう少しハリスが長くてもよかったかと思ったが面倒なのでこのまま釣りを続行する。 前回カモシカと遭遇した場所を越え、滑床が増えてきたがこのあたりでもイワナがよく出る。 その先にもまだまだ釣れそうなポイントはあるのだが、もう十分に釣れた。早めに戻って温泉を楽しもうではないか。 と、最後と決めたポイントに毛鉤を打ち込むとこの日最大サイズのイワナが顔を出してくれた。 26、7センチだろうか。なんて美しいのだ。これ以外のも同じようなサイズが3匹ほど顔を出してくれた。 美しい自然の中で美しい魚、あるいは獣たちと出会う。 つくづくワタシはこの釣りをやっていてよかったなと思う瞬間である。 温泉のあとにテン場で焚き火を見つめ、飲むビールを楽しみにゆっくりと下山する。 途中に停めたカブはこの3日間の林道走破で泥だらけ。 翌日は嫌でもなんでも帰らなくてはならぬ日である。早めに撤収して子どもたちの顔も見たい。 しかしこのままずっと山奥で毎日釣りができたらどんなに楽しいだろうか。 最終日は毎回相反する気持ちと現実との折り合いをつけるのに苦労する。 こうした心へ与える刺激がこの釣りのもう一つの魅力なのだと思う。毎日東京で仕事と家庭の生活を繰り返していたらこのような心への刺激は無いのかもしれない。 翌日からの日常へは刺激剤にならぬが、次への釣行への刺激剤にはなっている。 あと2ヶ月、どんな釣りが待っているのであろうか。 楽しみである。 それでは今日も、No Tsuri-ba! No Life!手は震え、動悸も止まらない釣りWebフリーマガジン